FC2ブログ

地球自転発電

3月20日(日)

銅線をコイル状に巻き、磁石を回すと電気が発生する。
一番シンプルな発電である。

「磁電力」 フレミング左手の法則だ。

実験の時は、小さな磁石と小さなコイルなので、
微弱の電気しか生成できない。

この原理を巨大な構図に書き換えれば、巨大な発電が出来る。
すなわち
地球の磁界を利用するのだ。
南極と北極の NS極だ。

地球自転blog
地球自転発電 イメージ図
中央が日本列島のつもり

回転は地球が猛スピードで、
莫大なエネルギーで、自転している。
問題はコイルだ。

赤道を何周も廻るコイルを作らねばならぬ。
それも土星の環のように、浮いた状態にしなくてはいけない。

コイルさえ出来れば、赤道でなくても 発電できる。
無尽蔵に発電できる。
最大の利点は、放射能などの悪影響が全くないことである。

太陽光発電 風力発電など比べ物にならない。

この論理に、専門家から見れば、問題多々ありだろう?
しかしながら、
私の言いたいことは、
「地球の磁力」を利用しない手はない・・・ということである。


今日は日曜日 「アホなこと考えんと」
今から 工場での日曜作業に行こうー

さようなら メリー

3月18日(金)

多度津商工会議所の会報 片隅にエッセイを連載している。
3月号の文章だ。

1999年 確か 4月からなので、丸17年になるかな?
17年 × 12ケ月 = 204回目 かな?



さようなら メリー


アホ犬 メリーが、静かに息を引き取った。
昨年末のことである。

メリーは、捨て犬で、迷い犬で、仕方なく飼った犬だった。
芸は一切しないし、出来ない。
「お手」「お座り」なんちゃ出来ない。
でも可愛いかった。アホな方が可愛いのかもしれない。

私に「アホ犬 ボケ ホッコ」と言われながらも、
何の反発もすることなく、私に尻尾を振った。
そして、15年の彼女の人生を全うした。

メリーめがねblog
元気だった頃の メリー
義姉のいたずらで 彼女のサングラスをかける

メリーの散歩は、私の任務だった。
仕事でどんなに疲れていようが、どんなに遅くなろうが、散歩は私の役目だった。

「行っか?」と言えば、その時だけは、しっぽを振り振り、私にお愛想をした。
あれから、散歩に一切 行っていない。
私の唯一の運動だった散歩に行っていない。

仕事で、梯子の登り降りはするものの、
重い商品を配達するものの、
散歩とはまた違う。
したがって、メタボが益々進みそうである。

我が家には、悪法「生類憐みの令」がある。
妻が制定した。
主人より犬猫の方が大事な法だ。
猫が4匹いる。

新たな犬を飼おうかな?とも思う。
いやいや 逝った時がつらいので、止めておこう・・・



※ 注1 ホッコ = 多度津の方言で アホのことだが、ニュアンスがちょっと違う
※ 注2 妻 = ヤツ
※ 注3 会報に写真はない

ゴッホの自画像

3月16日(水)

三四郎鮨で、「あいつを偲ぶ会」をやった時、
東京の眼科医 浜ちゃんが、携帯 スマフォの画像を見せてくれた。
その中にゴッホの自画像があった。

ゴッホblog

ファン・ゴッホは、自画像を結構多く描いている。
独特の筆タッチで描いている。

ゴッホの若い時代の自画像は、知らない。
髭もじゃの オッサン・ゴッホ の自画像しか知らない。

この絵 実は浜ちゃんの画だ。
油絵 水彩画に凝っているらしい。

この絵 ゴッホの真似だ。
模写が、まずは絵の原点だ。
模倣から入いる。

「うまいヤン!」
「よーでけとるゾ」
色使い 筆タッチ ゴッホに近い。

何でも 「真似から入いる」。
美術 音楽 スポーツ 何でも真似からだ。
文章だって、真似からだ。
俺なんざ ”真似しのお猿” の典型だ。 

敬愛する文芸評論家 川本三郎氏の言葉を借りると、
「倣う(ならう)」だ。 

俺は”絵心”がない。
少年時代 日曜絵画教室へ
兄貴と共に、無理やり行かされたが、
いやだった。
何で母親は、俺に強要したのだろうか? 

同席した大阪の 香坂良君も油絵を習っている。
ヤンさんは、その昔 画学生を目指した時期もあった。

それぞれ 色んな人生を歩んでいる。

あいつを偲んで

3月12日(土)

東京の眼科医 浜ちゃんが、帰省した。
大阪から香坂良くんが、帰省した。
地元の歯科医 ヤンさんと私で、三四郎鮨で一杯呑った。
まずは生ビールで乾杯だ。

浜ちゃんが用意した 「あいつの写真」をカウンターの上に置き、
あいつにも 生ビール供え、乾杯した。

ついでに煙草、私のメビウス10 と 良ちゃんの ロングピースを置いた。
早いもんで、あれから2ケ月が過ぎようとしている。

JP写真blog
額に入れた あいつの写真
三四郎鮨 カウンター

あいつと、何度か来たことがある。
写真を見て、
鮨屋の大将 「ええー ほんまでっか」
        「何度か 来てくれたのに・・・」
弔いの言葉をもらった。

この写真は、志士丸会で、倉敷へ旅した時のものだ。
あいつが幹事をした時のものだ。
あいつが岡山大学時代からお付き合いのある店だった。

秋だったので、あの時の あいつの ”キャッチ コピー” は、
「倉敷で マツタケづくし」 だったが、
出て来たマツタケは、ほんの少々だった。

「何が マツタケづくし じゃ!?」と、ブーイングがあったが、
誰も本気で怒ることなく、笑ってすました。
それも なつかしい想い出になってしまった。

あいつが居たら、このカウンターに座って
わけの判らん冗談を言っていただろう。

卒業写真

3月10日(木)

黄金クラブの会場 壁面に、
中学校の卒業写真を引き伸ばして
かなり拡大して 貼ってあった。
何故か 私の手元に中学校の卒業アルバムがない。

高校の卒業アルバムはあるが、
中学校のはない。

先生全員の写真 各クラスの全体写真
運動会 修学旅行などのスナップ写真を貼ってあった。

その中に クラブ活動の写真があった。
私は、バスケットボール部だったので、
懐かしくて、デジカメ写真に収めた。

多中バスケblog
後列 中央が私
背番号11
もやしみたいに ひょろ長


このチーム 結構 強かった。
対外試合でも 善通寺西中学校 以外に負けたことがなかった。
どこ行っても 準優勝。
善西中は、当時 四国NO1だった。

恩師は、山下先生で、当時 25歳。
現役ばりばりの国体選手で、練習時は、一緒にプレイした。
数学の先生だった。

先生に憧れて、将来 数学の教師になり、
バスケの顧問になりたいなあーと、
本気で思っていた。

その後 山下先生とは、ズーッとお付き合いがある。
たまには、酒を酌み交わしている。
恩師なのだが、友達感覚に近い。

黄金クラブに参加したこと。
この1枚の写真に出会えたこと・・・大きな収穫だった。

近いうち 恩師 山下先生に声かけて、
久しぶりに 一杯 呑(や)りたいなあー。



荒井由美さん  ”♪ 卒業写真” のラストフレーズに
「♪ あなたは 私の青春そのものー ♪」 なんてのがあった。

誰かに
俺が言ったような? 言わなかったような?
言われたような? 言われなかったような?
歳とると、記憶まで  あいまいなような・・・
プロフィール

haratetsu

Author:haratetsu
原哲(はら てつ)

1950年香川県生まれ
丸亀高校卒
金沢大学中退(工学部電気工学科)
洒落集団「滑稽倶楽部」主宰
1999年から多度津商工会議所会報でエッセイ連載中(月刊)
漫才やコントの脚本、川柳、俳句に興じ、尺八を吹き、
チェロを弾く
多度津町在住

※エッセイ集「滑稽倶楽部」 1260円
  2006年12月出版
  お譲りします

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード