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東京へ向かう

11月30日(日)

11/26(水) 朝8時 私の歯の主治医 Y君が、
奥さんの運転で迎えに来てくれた。

東京で、「慶応医学賞」受賞式に参列する為だ。
高校の同級生 濱田博司君が受賞する。
大阪大学大学院で教授をしている。
私設応援団を結成し、応援に行く。

当初 午前中は診察をして、午後から休診にする予定だったが、
私  「もう 朝から ”本日休診なり” に せーや」
ちょっと考え、ためらいながら
Y君 「ほんだら そーするワ」
休診にさせ、切符も手配してもらい、送迎までしてもろた。
幼な親友だから言えることだ。

岡山駅で、岡山大学 JP博士と合流した。
「おー 久しぶりやノー」
「元気でやっとたんか?」
実は 3日前 居酒屋 じゃこ家で、一緒に 一杯呑んだばかりだ。
Y君も同席し、東京のH君 S君も居た。
弥次喜多道中ならぬ、さぬき3バカトリオの旅がスタートした。

新幹線に乗るやいなや 早速 旅の無事を祈り 乾杯だ。
「今から2日間 お手柔らかに・・・」
めいめい それぞれに買い込んだ缶ビールで乾杯だ。

缶ビールblog
Y・キリン 私・大缶 JP・ドライ
手前 おつまみ 各種

まだ 朝9時。
ほんま アホ・トリオや。

この程度のビールでは、新大阪まで もたない。
移動販売で、追加を買う。
JP博士は、ウイスキー”竹鶴”を所望。

Y歯科医に 「昼飯あるキン ほどほどにしてけヨ」 と 戒められる。
愛煙家のJP博士と私は、喫煙室 トイレへの往復 度々。

WAIWAI 言うとるうちに、はや東京に着いた。
定刻通り 12;22 着。
「エエー もう東京か」

最後に1句
 ※ 京都過ぎ  煙草のけむり  飛ぶ景色
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おばちゃんの49日

11月29日(土)

本家のおばちゃんが逝って49日になる。
丁度1週間前 11/22(土) 四十九日の法要があった。
ヤツと二人 参列した。

回向寺は、多度津駅前筋にある多聞院だ。
本堂でお経をあげた。

青木49日1blog
読経風景

おっちゃん(母の兄)とおばちゃんの家は、
三人娘だったので、皆 嫁に行って、「姓」は変わってしまっている。

私の妹も姓は変わっている。
兄と私だけが、姓を名乗っている。
兄の二人娘も嫁に行き、姓が変わり、
私の娘も、姓が変わっている。
姓が残るであろうは、私の息子のみ。

自分の姓がなくなろうと、さほど気にしない。
「家制度」も時代と共に変わる。
「夫婦別姓」 それなりにいいかもしれない。
法要で、長いお経を聞きながら、そんなことを思ったりした。

読経がやっと終わり、
同寺内 墓地にある本家のお墓に納骨を済ませ、
線香をあげ、合掌した。

ここには、
祖母 昭和19・3・18 享年41歳
伯父 昭和4・3・25 享年4歳
祖父 昭和45・11・10 享年74歳
伯父 平成2・6・5
が眠っている。

その後、日本料理店「花瀬」に席を移し、会食だ。
長年 行きつけの店だ。
マイペースでビール 酒をいただいた。
キープしている焼酎も出してもらった。

土曜日だが、わが店は臨時休業にしている。
パパママ店なので、私の独断ですぐ決定できる。

一番近い親戚の法事が、無事 終わった。
いいー天気だった。

巡る 巡る 時代は巡る。

サライの万年筆

11月23日(日・勤労感謝の日)

雑誌「サライ」は、創刊以来 定期購読している。
たまに、付録が付く。
かつて CD バック 手帖などがあった。

今回 創刊25周年記念で、11月号には、万年筆が付いていた。
これがなかなかいい。
付録とは思えない いい書き味だ。

サライ万年筆blog
上 函
下 万年筆

万年筆好きの私には、持ってこいの景品だ。
近頃 普段は、ボールペンばかり使うが、万年筆には重い思いがある。

中学入学の時、両親から祝いに万年筆をもらった。
セーラーだった。
その頃 パイロットが主流だったように思えたが、セーラーだった。

インクが泉の如く出て、感激したものだ。
その時には既に、カートリッジ式のインクだった。
ファウンティン・ペン・・・巧く言ったものだ。

今回のサライの万年筆も、当時とそう変わらない。
全く変わっていないと言っても過言でない。
変わらないものの良さかな?

ブログはキーボードで打つし、書類も殆どが、PCだ。
滅多に書かない手紙くらいにしか、この万年筆を使わないかもしれない。
でも、机の上に置いているだけで、うれしい。
一人で喜んでいる。

11月号 880円なのに、万年筆付きだ。
ちょっと得した気分!

今日は、勤労感謝の日。
今から工場の停電作業に出掛ける。
”勤労できることに”感謝しつつ 行こう。
そうそう 息子も引っ張り出した。

健さん が 死んだ

11月19日(水)

昨日 JR多度津駅 構内食堂で昼飯を喰っている時、携帯が鳴った。
定食は、大好物のオムライスだった。

TELは、映画評論家の濱田理容さんからで、
「健さんが死んだ」。
「エエー 健さんが・・・」
「葬式 何時な?」
「知らんワ」

それから、NET マスコミ TVでは、健さん訃報で持ち切りだ。

映画 冬の華blog
映画 冬の華

濱田さんも私も大ファンで、居酒屋”じゃこ家”で、
会う度に 映画談議に花が咲いている。
つい3日前の日曜日にも、
山田洋次監督 「幸せの~」「遥かなる~」の話をしたところだった。


健さんの映画を始めて観たのは、
「万年太郎」という映画だった。
ガキの頃だった。
丸亀東映でだった。
記憶に間違いなければ、源氏鶏太原作のサラリーマンものだったと、思う。
健さんの爽やかな2~3枚目ぶりが、子供心に印象的だった。

その後、美空ひばりの相手役映画があったように思う。
錦之助 宮本武蔵では、宿敵 佐々木小次郎をやった。
同じく 内田吐夢監督作品「飢餓海峡」では、若き刑事役だった。
5本の指に入れたい名作だ。

網走シリーズの後、
70年代前後の学生時代では、任侠映画を、金沢 香林坊の映画館で、
深夜映画で、全部観た。
貧乏学生だったが、映画は欠かさなかった。

山田作品後は、盟友 降旗監督との映画が続く。
「駅・ステーション」は、丸亀東映 閉館寸前の時に、行った。
観客は、私 ひとりだけだった。

映画「冬の華」では、チャイコフスキー PFコンチェルトNO1が耳に残っている。
シャガールの絵も忘れ難い。
クロード・チアリのギター音楽が侘しく流れた。

健さんは、憧れであり、アイドルであり、目標だった。
健さん映画 私が観た映画の中で、一番多いかもしれない。

健さんから、義理 人情 美学 ダンディズム 男の優しさ を学んだような気がする。
信義を貫いた。
近づけないが、近づくようにしたい。

理屈じゃない。
とにかく「カッコよかった」。

切ない。

最後に1句
 ※ アイドルは  死んじゃ駄目だよ  高倉さん

慶応医学賞 招待状

11月15日(土)

おしゃれな封筒が届いた。
慶応大学からだ。

慶応blog
慶応医学賞 インビテーション
下 封筒

高校時代の同級生 濱田博司君が、
「19th 慶応医学賞」を受賞した。
すこぶる 権威のある賞のようだ。
過去 この賞をもらった人のうち 6人がノーベル賞をもらっている。

彼は、岡山大学を出て、アメリカなど留学をして、
現在 大阪大学大学院生命機能研究科で教授をしている。
様々な賞を貰っているようだが、慶応医学賞は、更に重そうだ。

「左右軸を中止とした哺乳動物胚発生の分子制御機構」が、
受賞研究テーマ だそうな。
何のこっちゃ?

彼と、先日も、志士丸会 倉敷で一緒に、「アホ言うて」 遊んだ。
その時、仕事の段取りがつけば、「俺も授賞式に行くワ」 と云った。
そして、メールで 「行くゾ!」 と書いた。

よって、慶応大学からこの招待状が来たのである。
彼の配慮であろう。


岡山大学 JP博士と 私の主治歯科医 Y 君にも声をかけた。
「ハマダ の応援に 行かんか?」
ほんだら 二人とも仕事休んで 「行くワ」 だ。
”さぬき3ばかトリオ”で、東京さ 行くことに相成った。

本来なら飛行機で、「ひとっ飛び」 するのだが、
「一杯 呑(や)りながら のんびり 行こうやないか」 との、私の提案で、
新幹線で行く。

東京では、志士丸会の仲間たちが、「受賞前夜祭」 を企画してくれている。
眼科医 濱畑君が、中心になって段取りしてくれている。
主賓・濱田君も交えての宴会になる。
賑やかな祝宴になりそうだ。

その昔 私は、慶応大学 理工学部・電気工学科を受験したことがあった。
場所は、日吉校舎だった。
雪がチラホラ舞う寒い日だった。
受験料 6000円 やった。
当然 落選・・・

最後に1句
 ※ 45年前  スベった慶応  門くぐる
プロフィール

haratetsu

Author:haratetsu
原哲(はら てつ)

1950年香川県生まれ
丸亀高校卒
金沢大学中退(工学部電気工学科)
洒落集団「滑稽倶楽部」主宰
1999年から多度津商工会議所会報でエッセイ連載中(月刊)
漫才やコントの脚本、川柳、俳句に興じ、尺八を吹き、
チェロを弾く
多度津町在住

※エッセイ集「滑稽倶楽部」 1260円
  2006年12月出版
  お譲りします

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