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携帯紛失

2月29日(水)

うるう年の今日は、”おまけ”の1日であるが、「1日得した気分」にはなれない。

今朝の天気予報では、大雪注意報が出ていた。
白銀の世界を期待していたが、雪にはならなかった。


土曜日の夜 酒処 風月庵へ行った。
旨い酒をたらふく呑んだ。
次の日は休日で、気分はリラックスモードである。

帰りは、タクシーを呼んでもらい、帰宅した。
その夜は代行運転でなく、タクシーだった。

翌朝起きて、携帯電話がないことに気がついた。
寄り道していないので、何処かにある筈だ。
固定電話で、090 ××× と呼び出したが、家の中で携帯の音は聞こえない。

固定電話blog
私の机 固定電話

風月庵へも電話したが、座布団の下にもない。
タクシーの中かもしれない。
タクシー会社に電話したが、「ありません」と冷たい返答。
仕方ない諦めるしかない。

私の場合 携帯の中には何にも入っていない。
電話帳とか、メモとか、スケジュールとか、何も入れてない。
メールもしない。(PCではする)

携帯は電話をかけて 電話を受けるだけしかしていない。
したがって、手帖をなくしたようなショックはない。

でも、携帯がないと不安である。
プライベートの電話は殆どかかってこないが、
仕事の電話は頻繁にかかってくる。
電話がないとマズイことになる。
知らぬ間に「携帯依存症」になっているかも。

とんだ 携帯紛失事件 である。
ヒモでくくって、首にぶら下げないといけない。
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またスタミナ漬もろた

2月28日(火)

昨日 今日と朝 冷たい。
霜が降りている。
布団から出るのに、なかなか出れない。

数日前BLOGの「スタミナ漬もろた」に続き、又 「もろた」 だ。
当初「もらった」だったが、東京在住 同級生の S 君からの指摘で、
方言の「もろた」に変更した。
なるほど その方が田舎者の私らしい。

土曜日 息子がブルーレイディスクを修理に行った。
その際に 「これ持って帰れ」と、また頂いた。
今度は2瓶だ。
私の机の上に置いてあった。

スタミナ漬3blog
先日もろたのと合わせ3瓶

「こなん ようけ どうーしょ」(方言=こんなにたくさんどうしましょ)
そんなにスタミナつけたら「走り廻らないかん」。
もう60歳を過ぎたので、そうは走れない。

昨日 義姉がやって来たので、1瓶差し上げた。
「この前のブログの分ネ」
「これ食べて スタミナつけるワ」

最後に1句
 ※ 霜の朝  スタミナつけて  どうーしよう?

金沢慕情「下宿③」

2月27日(月)

以前のBLOGに「下宿②」を書いた。
その続編である。

学生の家財道具は、ふとんとホームこたつ。
若干の衣類と本だけだった。

実家が電気屋だったのに、ラジオもTVもなかった。
よって引越しは、気楽なものだった。
金沢下宿②~③へ 大八車を引っ張って、犀川から浅野川まで歩いた。

今度の下宿は、元病院の元入院部屋である。
木造の病室で、それは それは 暗あーい 怖あーい 汚なあーい建物だった。
「あそこは その昔 赤痢が流行った」などと いらぬ噂があった。 

でも唯一、”何の規制もないのが”とりえ だった。
此処が、退学するまで 金沢での”終の棲家”となる。

2階建で、トイレは、ぽったんの共同便所。
流し台も共同で、水が出るだけ。
電気は、容量が少なく、すぐ糸フューズがとんで、停電になる。
設備は最悪だった。
でも、それまでの下宿にない「自由さ」があった。

金沢城のすぐ近く 橋場町にあった。
大学は、お城の中にあったので、石川門まで歩いて数分の距離である。

石川門blog
兼六園から見た石川門
この門をくぐって登校していた
(授業はサボッてばかりだったが)

家賃は、電気代 水道代含んで、確か 4500円 ぽっきり。
電話は”呼び出し”である。

共同流し台には、ネズミが出没していた。
「そら そうやろ」と思わせる程の不潔さだった。

この不潔さなのに 「自由さ」に憧れ?、化学工学科の G 君は、後日 隣の部屋に引っ越して来た。
G 君 仙台出身 2浪のバンカラ。
そうこうするうちに、電気工学科の秀才 K 君が2階の部屋に引っ越して来た。
K 君 信州飯田出身 バリバリの現役。
しかもバリバリの優等生。

まるで、手塚治虫の「ときわ荘」みたいだ。
二人とも無事?卒業した。

その他 お馬鹿な貧乏学生が、毎夜毎夜 集まり たむろし、
この下宿で、色んなドラマが生まれていったのである。

映画「三丁目の夕日 64」

2月25日(土)

ALWAYSシリーズは、昔懐かしい映画なので、毎回必ず行っている。
今回は、1964年 東京オリンピックの時が舞台である。

この時、私は中学2年生だった。
鮮明に覚えている。
我が家は電気屋だったので、開会式はカラーテレビで観た。
マラソンでアベべがローマ 東京と連覇したのを見たのは、多度津中学校でだった。
確か 授業を中断して、TV観戦になったように記憶している。
非日常(授業中断でTV)に教室の中が沸き立った。

映画館に行ってみると 3D映画の時間だった。
仕方なく 3D用のメガネを 100円で買った。
家には 3D用のメガネを持っているのだが、持ってきていない。
これで、メガネが3ケにもなってしまった。

三丁目の夕日64blog
ラストのワンシーン

画面に「ナショナルの電気屋」が登場する。
当時の我が家みたい。

この映画 涙するシーンが何度もあった。
理屈抜きに泣いてしまう。
観客も少ない。
ひとりで行っているから、周りを気にせず思いっきり泣いた。
3Dメガネをとり、涙を拭いた。

こういう映画 好きである。
こういう映画 好のみだ。

原作が漫画であろうが、小説であろうが、はたまたノンフィクションであろうが、
肌に合うものは、気持ちいい。

仕事が多忙なほんのひと時の息抜きの夕べであった。

そうそう、先年亡くなった父は、ナショナルの招待旅行で、オリンピックの閉会式に行った。
えらく感激して「よかったゾー」と得意げだった顔を思い出した・・・

たどつ小唄

2月24日(金)

薬局を営む K おばちゃんが、
がらくた・骨董 滑稽堂に「蓄音器ある?」と尋ねた。
手回しの蓄音器を持っているので、「ありますヨ」と答えた。

SP盤 78回転の「たどつ小唄」を聞きたいらしい。
どこにも再生する蓄音器がないので、滑稽堂に白羽の矢?がたったわけだ。
鳴らすと、おばちゃん 感激した。

それから数ケ月 私の机の上に、CD化された「たどつ小唄」が置いてあった。
家人に聞くと、薬局のおばちゃんが持ってきて来てくれた とのこと。
何処かでCD化したのである。

たどつ小唄blog
楽譜 CD


     たどつ小唄    

         西條八十 作詞
         中山晋平 作曲
         勝太郎  唄

多度津ナー 多度津港は花咲くみなと
 名さえ 桃山 
チョコ、チョイ、キタ、チョイ、チョイチョイ
 名さえ 桃山、櫻川
 ハーレ、チョイキタ チョイ、サッサ
 ギートン、ナードコ、スッチョイ、チョウ

多度津ナー、多度津通れば「一太郎やーい」と
 今も呼ぶよな、今もよぶよな波の音
 ハーレ、チョイキタ チョイ、サッサ
 ギートン、ナードコ、スッチョイ、チョウ

多度津ナー、多度津よいとこ、月夜においで
 塩飽七島、しわく七しま、銀ぼかし
ハーレ、チョイキタ チョイ、サッサ
 ギートン、ナードコ、スッチョイ、チョウ

3番の歌詞まで記したが、11番まで続く。

昭和初期の多度津の「たどつ小唄」 残していきたいなあー
プロフィール

haratetsu

Author:haratetsu
原哲(はら てつ)

1950年香川県生まれ
丸亀高校卒
金沢大学中退(工学部電気工学科)
洒落集団「滑稽倶楽部」主宰
1999年から多度津商工会議所会報でエッセイ連載中(月刊)
漫才やコントの脚本、川柳、俳句に興じ、尺八を吹き、
チェロを弾く
多度津町在住

※エッセイ集「滑稽倶楽部」 1260円
  2006年12月出版
  お譲りします

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